息子に会いたい

21歳の息子に先立たれてしまった母

ひさしぶりの更新

気付いたら、5ヶ月以上もブログを更新できずにいた。

自分の心の内を吐き出すことで楽になれていたこの場が、なんとなく負担に感じてしまって、長い間ほったらかしになってしまった。



息子に会えなくなってから、もうすぐ2年と2ヶ月。



今はまだまだ号泣することもあって、眠れない夜もあって、親子連れを見たり、そこら中にある息子との思い出のある場所では涙ぐむこともよくあるけど、それでも前よりは泣くことは少なくなったかなと思う。


以前は、思い出すのは悲しい顔、苦しんでいる顔ばかりで、記憶を掘り起こして掘り起こしてやっとなんとか笑顔を思い出せる状態だったのが、今は自然に息子の笑顔を思い浮かべることができる。


腹を抱えて笑い転げる姿、夫やあっちで出会った友だちといっしょに笑い合ってはしゃいでいる姿が浮かんでくる。


でもそのあとに必ず襲ってくる


ごめんね

私のせい

私が悪い

ごめんなさい


という気持ち


これだけは変わらない。

なくならない。



生きていてくれさえすればよかったと、今はもう思わない。

生きていくのが辛くて、この世の中で生きていけなくて旅立つことを選んだ息子に、生きていてほしかったというのはとても酷なこと。

これでよかったとは決して思わないけど、幸せになれる別の居場所を見つけて、今は笑って過ごしているのならそれでいい。



それでもやっぱり


名前を呼んだら飛んで来てほしい。

そばにいてほしい。

声が聞きたい。


笑顔を想っても苦しくて


会いたくて、会いたくて。



私が息子のもとへ行けば、息子に会える。

でも、それは今じゃない。

今は会えない。

だけど、その日は必ず来るから、それまで我慢するしかない。



2年経っても辛くてどうしようもなく悲しくて、なんにも変わっていないようで、少しずつ何かが変わっているような、そんな気がする。

何もかもが

お正月が過ぎたと思ったら、成人式にセンター試験。

どうしても息子に繋げてしまう。


それが終われば、節分にバレンタインデー。

どんなことにも息子との思い出がいっぱい詰まっている。


そのあとは、卒業式、入学式という華やかなシーン。

本来なら息子は、今年大学を卒業するはずだった。

息子の晴れ姿はもう見られない。



それが過ぎだら、2回目の命日がやって来る。

1年のうちで一番気持ちが不安定になって、苦しい時期。

今年もまた命日が近くなると、どうしようもない不安に襲われて、落ち着かなくなってしまうのだろう。



何もなくても辛い涙涙の日々。

いろんな行事や出来事が、辛さを倍増させる。

楽しかったはずのことが全て、悲しみを誘う。


何もかも、本当に何もかも変わってしまったんだと思う。




「どの季節が一番好きですか?」

なんて聞かれても答えられない。


どの季節もみんな嫌いだ。

悲しまないで

息子に供えているお花の水を替えようとしたら、水滴が息子の写真に落ちた。
水滴は、息子の目からこぼれるように流れていた。
息子が泣いているように見えた。



息子が泣いている。


何が悲しいのだろう。


私が泣いてばかりいるから?


私が息子を悲しませているのなら
ごめんなさい。


私が笑ったら、息子も笑ってくれる?


でも、私は笑えない。
毎日が悲しすぎて、苦しすぎて、笑えない。


息子を思うと泣いてしまう。
息子が恋しいから泣いてしまう。


私が悲しんでいても、息子には笑っていてほしい。
そう思うのはわがままだろうか。


お願いだから
私が泣いても悲しまないでいてほしい。


私の涙は、息子への愛の証。
涙は一生止まらない。


だから、悲しまないで。
笑っていて。