息子に会いたい

21歳の息子に先立たれてしまった母

心から笑えない

時々、自分が能面のような顔をしていると感じる時がある。
まわりのあらゆる物が息子を思い出させるから、泣かないように、何も感じないようにと無表情になってしまう。


人と話す時には、作り笑いをしている。
作り笑いをしてまで無理に笑うことはないのにと思いながらも、笑うふりをしてしまう。
だから、もう大丈夫、立ち直った、なんて思われてしまうのだろう。



もう心の底から笑うことはなくなってしまった。


楽しいっていう感覚って、どんな感じだっただろうか。
一番最近、心から楽しいって思えたのはいつのことだったのだろう。
何をして、何を見て楽しいって感じたのだろうか。
覚えていない。
思い出せない。


楽しいと感じることも、心の底から笑えることも、もう二度とないだろう。
心にぽっかり空いた穴に、ずっと隙間風が吹いていて、その穴は、息子が戻って来ない限り埋まることはないのだから。



こんな私を見て、息子は悲しんでいるのかも知れない。
笑っていてほしい、楽しんで生きてほしいって思っているのかも知れない。
でも、しょうがない。
息子がいなくなって悲しいんだもの。
息子に会えなくて寂しいんだもの。





いつか息子に会える時には、笑顔で会いたい。
その時に、ちゃんと笑えるのだろうかと思う。
でも、今笑い方を忘れていても、息子に会えたら、その時は心の底から自然に笑うことができるだろう。
きっとできる。



やっぱりわからない

新聞の投稿欄に、「死んではいけません」というタイトルの記事が載っていた。

私と年齢がひとつ下の女の人が書いたもの。

その内容を簡単にすると


いじめによる自殺が多い

どうか死ぬことを考えないで

学校なんか行かなくていい

勉強はどこでもできる

生きていたらきっと幸せな日がやってくる

いじめをするようなくだらない人間のために死んではダメだ


というもの。


その中に書かれてあったある部分を読んで、落ち込んでしまった。




お母さん、お父さん

子どもをよく見てあげて下さい

話を聞いてあげて下さい




親が子どもをのことをちゃんと見ていれば、普段から話を聞いてあげていればわかるはず

気付くはずだから


そう言われているようでショックだった。



私は、息子のことをよく見ていなかったのだろうか。

息子の話を聞いてあげていなかったのだろうか。


息子とは、特別によく話をしていたわけではないけど、息子もおしゃべりな方ではなかったけれど、親子の会話は普通にあったと思う。

私は、職場での愚痴も、娘よりも息子によく話しては慰めてもらっていた。

息子も、バイトでのことやいろいろ話してくれていた。

私が朝、家を出る時に息子がまだ寝ていたら、必ず「行ってくるね」と声をかけてから出かけていた。


でも、気付かなかった。

何も気付いてあげられなかった。



毎日顔を合わせていながら、気付かない親がおかしいというのは、世間一般の普通の考えなのかも知れない。


私は、毎日のように自分を責めている。

同じ自死遺族の方々も、自責の念に苦しめられている。


やっぱりわからないのだ。

この苦しみは。

同じ立場の人にしか。

息子の部屋

息子がいた時のまま、そのままになっている息子の部屋。


今までに何度も片付けようとしたけど、できずにいた。
やろうと思っても、息子の部屋に入るだけで涙が溢れてきて、息子の物に触れることさえできなかった。


今日、ほんの少しだけ、ほんの一部だけでもいいから整理しようと決めた。
泣かないように歯を食いしばって、心に蓋をして、なんとか淡々と進めていった。


あるレシートを見つけた。


日付は去年の3月30日。
私たち家族のお気に入りのクレープ屋さんのレシートだった。
私と娘の好きなクレープをふたつ。
息子から私と娘への、バレンタインデーのお返しにと買ったものだった。


涙が止まらなくなった。


息子も大好きだったクレープだから、その時息子が買って来てくれたクレープを食べたあと
「今度は私が買って来てあげるからね」
って約束したのに、その約束も果たせないまま旅立ってしまった。


今年のホワイトデーの頃にそのことを思い出して、
買って来て供えてあげるからね
って、ブログにも書いたのに、まだそのクレープ屋には行けずにいる。



母さん、まだ?
ずっと待ってねんけどな
はよ食べたいねんけどなー


って思ってる?


なんとか、今ならなんとか行けるかも知れない。
買いに行ってみよう。




レシートはきれいにファイルにはさんでしまっておくことにした。