息子に会いたい

21歳の息子に先立たれてしまった母

私の幸せは

まだ具体的なことは何も決まっていないけれど、娘が結婚することになった。


娘が幸せになることは、何よりも望んでいることだから嬉しい。
とても嬉しいはずなのに、気持ちは沈んでいく。


ここに息子がいたらなって思う。
いっしょに喜びあえる息子がいないのが悲しい。


娘が笑っていると、息子の笑顔も見たい。
娘を見ていると、息子にもここにいてほしい。
娘を思う時、息子をも思う。


娘がいて、息子がいる、それが私の幸せ。


息子がいなければ、楽しいことも心から楽しいとは思えない。
嬉しいことも心の底から喜ぶことができない。





「姉ちゃんに彼氏の写真見せてもらったけど、なかなかかっこよかったで」
って、息子が言っていたことがあった。


実際に会っていたら、なんて言っただろう。
義兄になる人と、どんなふうに接して、どんな会話をしただろうか。



娘から、式場のこととかを調べてきたという話を聞いている時に、最初は乗り気で聞いていたのが段々と沈んできて、相槌も打てなくなってしまった。
娘が心配そうな顔をして「どうしたん?」と聞いてきた。


娘には、心配をかけるわけにはいかない。
せめて娘の前では明るくしていなければ。


そうなれるよう、息子にパワーをもらいたい。

七夕の願い事

今日は七夕


一年に一度だけでも会いたい人に会えるのは、どれだけ幸せなことかと思う。




短冊に願い事を書く時は
~できますように
~になれますように
ではなくて
~できる
~になれる
と書いた方が願い事が叶いやすくなるのだとか。






息子に会える




娘と
息子が
それぞれの居場所で
幸せになる




願い事がふたつ。
欲張りかな。

その通りだけど聞きたくない

今住んでいるマンションは全部で3棟あって、それぞれに理事会がある。


少し前までその理事会同士でちょっとした揉め事があって、いろいろ大変だったようだ。
今はなんとか解決したのだけど、この間の理事会で、その時の総合理事会でのことが話題に上がっていた。
別の棟に、済んだことをいつまでも繰り返し言い続けるトラブルメーカーがいて、その人のせいで話がややこしくなって、収まりかけていたのがまた揉めることになってしまうという話をしていた。


そんな中ある人が
「その人ほんま頭悪いんちゃいます?
なんで済んでしまったことをまたわざわざほじくり返したりして、何回同じことを繰り返すの?
そんなんいつまでも言うててもしゃあないやん。
それぐらいわからへんのかな。
だって、死んでしまった人は絶対に生き返らへんでしょ」
と言った。


死んでしまった人は絶対に生き返らない


その言葉が胸に突き刺さった。
頭の中でその言葉だけがぐるぐると回っていた。


それは、何度も何度も嫌というほど身をもって痛感させられたこと。
自分で口に出して言ったことは一度もないけど。


ものの例えだとしても、なんでためらうこともなくさらっと言えるのだろう。


言った人は同じ階の人で、会ったらたまに少し話す程度。
わりと思ったことをずばっと言う人だ。
息子のことも知っているけど、息子のことには一度も触れたことはない。
たぶん悪気があって言ったのではないのだろうなとは思う。


その時は気付かなかったのだけど、あとで考えてみたら、私の横には昨年ご主人を亡くしたばかりの人もいたのに、どう感じたのだろう。



身近な大切な人を亡くした経験がないのだろうか。
だから、そんな言葉を簡単に言うことができるのだろうか。



幸せな人なんだなと思った。