息子に会いたい

21歳の息子に先立たれてしまった母

ムカつく

「元気で生きるんやで」


息子が遺書に残した言葉



息子がいなくなって

未来への希望なんかない。

娘の幸せだけを願ってるけど

それが希望だっていうのならそうかも知れないけど

息子のいない未来なんか考えられない。



自分は自ら死を選んで

人を悲しみの底に突き落としといて

元気で生きるんやで?

ふざけるなって言いたい。


息子がいなくなって

辛くて苦しくてどうしようもないのに

頑張って生きようなんて気になれるわけがない。

それなのに

元気に生きるんやで

って。


ムカつく。

ほんまにムカつく。



悲しくて泣いてばっかりだけど

時々は怒りたくなる。

生きたかった日

息子はバイトには自転車で通っていた。


バイト帰りの深夜、歩道を走っていたら滑って転び、息子の体は車道に投げ出されてしまった。

たまたまその時は走っている車はなかったから、擦り傷だけですんだ。


その道路はいつもは車の通りが激しく、スピードを出してる車も多い。

深夜だったから、あまり車は走っていなかったようだ。


でも、一歩間違えたらどうなっていたのか、考えたらぞっとした。


顔をこわばらせて


マジで危なかったで

車が来たらどうしよかと思った

むっちゃ怖かった


と言う息子を、


無事でよかった


と抱きしめた。



そして、天国にいる夫、父、祖父母に


守ってくれてありがとう


と感謝した。





この時は息子は死ぬのが怖かったのだと思う。

死にたいなんてことも考えていなかったのだと思う。


何度も何度も無事であったことを喜んでいたのだから。

ブログ

息子がいなくなってから、いろんな人のブログを読み、同じ思いをしている人がたくさんいることを知った。


そして、誰にも話せずにいる自分の心の内を溜め込んだままにせずに、ちゃんと吐き出すべきだと思って、ブログを始めることにした。


記憶を手繰り寄せてブログを書いてると、思い出すのは辛くて悲しいことばかりだから、どうしても涙が出てくる。

時には号泣してしまって、なかなか先に進めずにいることもある。


こんなふうに、わざわざ辛いことを思い出して号泣してまでブログを書く必要があるのだろうか。


ブログを書かなくても、息子のことを思い出しては涙する毎日には違いないのだけど。


ブログを書くことで悲しむ時間が余計に増えるのなら、ブログなんかやめてしまえばいい

そう思った。


でも、やめない。

やめてしまったら、吐き出せる場所がなくなってしまうから。

自分の中に溜め込んでしまうから。

たとえ大泣きしながらでも、思いを吐き出すことの方が、私には必要だと思うから。