息子に会いたい

21歳の息子に先立たれてしまった母

幸せなこと

テレビで、連休が終わり出勤した女の人が
「連休は大変でした
朝昼晩と子どものご飯を
作らないといけなかったので」
と。


その気持ちはわかる。
すごくわかるのだけど。


職場にいて
「楽しいです
嬉しいです
子どもがいないので」
って。


実際に子どもがいなくなってしまったら
好きなものをたくさん作って
お腹いっぱい食べさせてあげたいと思っても
それができなかったら。
それがどんなに辛いことか。


わかるわけないよね。


わからなくていい。


その人は深く考えずに言っただけだから
連休の間、同じように感じてた人は
たくさんいるはずだし
私も以前なら同じように思ったはず。


それは妬み。
完全に妬み。


幸せなんだな。


うらやましい。

4年

息子が旅立ったあの日から

ちょうど4年。

生きていれば

25才になるはずだった誕生日。




3月の半ばに

娘に子供が生まれた。

娘によく似た男の子。


この子が生まれた日

息子が夢に出てきてくれた。

もう長い間

夢で会うこともなかったのに。

残念ながら内容は覚えてないけど

ほのぼのとした雰囲気だったことは覚えている。

息子も甥っ子の誕生を喜んでくれているんだと

嬉しかった。


孫は本当にかわいくて

愛おしくて愛おしくてたまらない。

胸に抱きながら

この子のためなら何でもしてあげたいと思う。


息子のことも

こんなふうに思っていただろうか。

同じように

愛おしく大切に大切に思っていたはず。

それは間違いなく。

でも感じるのは後悔ばかり。


娘が退院してからうちにいたひと月の間

赤ん坊中心の生活で

週末には娘のダンナさんも泊まりに来て

バタバタと忙しくしていたけれど

楽しい毎日でもあった。


今またひとりの生活に戻って

スマホの中にある

何枚もの孫の写真を見ていると

自然と笑みがこぼれる。

会いたいなーとも思う。

娘達はすぐ近くに住んでいるし

会おうと思えば会える。


「会いたい時に会える」

ということが

どんなに幸せなことかと思う。


孫の笑った顔はもちろん

泣き顔も眠っている姿も

何もかもがかわいい。

見ているだけで心が癒される。


それでもやっぱり

私が今

誰よりも会いたいと思うのは息子。

息子に一番会いたい。


今すぐ会いたい。

会えますように

我が子に自死された母親は
そこまでして
避けなければならないほど
近寄り難い存在なのだろうか。


我が子に自死された母親が
普通に外を出歩いて
普通に買い物していたら
そんなにも軽蔑の眼差しで
見られてしまうものなのだろうか。


今までに何度もあったことだけど
一日に立て続けに続くと
滅入ってしまう。


冷たい視線が
ずっと頭から離れない。





今日は娘の誕生日。
この子のために
どんなに辛くても生きると決めた。


どれだけ挫けそうになっても
生き抜く。


だから


寿命を全うしたら
必ず息子に会えますように。


絶対に
息子に会えますように。


必ず
会えますように。