今年も苦しい正月
大晦日と元日に、いつものように母の家にみんなで集まった。
集まったのは、兄、義姉、姪、甥ふたり、私、娘。
甥たちは、年齢がそれぞれ息子のふたつ上とふたつ下。
どうしても息子と重ね合わせてしまう。
目の前で、義姉が甥たちと
話している
笑いあっている
触れあっている
ごくごく日常の当たり前のワンシーン。
私が今一番望んでいて、絶対に叶うことのないこと。
溢れ出してくる感情を閉じ込めて心に蓋をして、泣かないようにするのが精一杯。
作り笑いをする余裕さえなかった。
弟の方の甥は県外の大学に通っていて、離れて暮らしている。
その頑張っている様子を、母が聞いて褒めている。
素直に聞くことができない。
聞きたくない。
その場にいるのも辛い。
だから、食後の後片付けを率先してやって、その場を離れていた。
毎年、元日にはみんな揃っての集合写真を撮る。
息子がいなくなって初めてのお正月だった昨年は、兄か義姉の配慮からだったのか写真は撮らなかった。
苦しい気持ちで過ごしている中、そのことに安堵したものだ。
もうこのまま、写真なんか一生撮らなくていいと思っていた。
なのに、母が写真を撮ろうと言い出した。
ソファーのある所で、前列はソファーに座り、後列はソファーの後ろに立って撮る。
みんなそこへと移動する。
私は最後まで動けず、心ではめいいっぱい拒否していたけど、急かされ仕方なく移動した。
私はいつもは、前でソファーに座って撮っていた。
今回も、いつものように座る場所を開けてくれていて「ここに座り」と言われたけど、無言で後ろの端に立った。
自動シャッターで、「いくで、みんな笑って!」って、笑えるわけがない。
3回撮り直したけど、全てカメラ目線を外して下を向いたまま。
ささやかな抵抗。
出来上がりも見なかった。
写真は写真立てに入れて、母の家に飾っている。
母は、今年撮った息子のいない写真と、二年前に撮った息子のいる写真とを入れ替えるのだ。
別に誰も悪くない。
私が、息子がいないこの状況に耐えられない、ただそれだけ。
自分のやっていることが大人気ない、ふりだけでいいから、普通のふりをすればいいとは思ったけどできなかった。
いつもの場所に、いつもいた息子がいない。
この現実はあまりにも辛すぎる。
慣れることなんかできない。
息子がいなかったことになんかできない。