阪神・淡路大震災に思うこと
娘が小学校1年生、息子が8ヶ月の時だった。
激しい揺れで目が覚め、一瞬何が起こったのかわからなかった。
真っ暗な中、家族4人寒さに震えながらラジオを聞き、地震があったことを知った。
マンションの外壁には大きなひび割れが入ったが、建物自体は無事だった。
私の住んでいる所は電気と水道はすぐに復旧したが、ガスは1ヶ月止まった。
夫の職場があった地域はとても被害が大きくて、職場のあったビルもだめになってしまったが、すぐに別の所に新しく事務所を借りて、仕事を再開することができた。
夫は徒歩で職場と家を往復する途中、いろんな悲惨な現場を見てショックを受け、精神的にも肉体的にも疲れ果てていた。
娘の通っていた小学校は全壊で、別の学校を借りて授業を再開するまでは、友だちとも遊べず、テレビも地震の放送ばかりで、娘はストレスがたまりイライラしていた。
そんな中、娘がインフルエンザにかかり、そのあと息子、私、夫へと移った。
40度近い熱でフラフラになりながらも、息子に授乳していたのを思い出す。
ガスが復旧した時には、みんなで大喜びした。
家族も家も無事で、ガスも電気も水道も普通に使える、そんな当たり前の暮らしができることがどんなにありがたいことか、それを絶対に忘れてはいけないと思った。
何年か前、職場にいる男の人と話している時に地震の話になり、その人は離婚して子どもとも離れ離れになったのだけど、
「地震のあった頃は、奥さんも子どももおって幸せやったのに、今はひとりぼっちで寂しい。
こんなんやったら、あの地震の時に死んでしまえばよかった」
と言った。
私は、地震で家族も家も失い辛い思いをしている人たちがたくさんいるのに、その人たちのことを考えたら、よくもそんなことを言えたもんだと、その時は思った。
4人だった私の家族は半分になり、息子を亡くして辛くてたまらない今、私は思う。
あの時、家族みんないっしょに亡くなっていたら、今こんな辛い思いはしなくてすんだのにと。
最低だな。
それは娘の未来をも奪うことになるのに。
自分のことしか考えてない。
ひどい母親だ。
ほんとに最低だ。
娘に
息子に
ごめんなさい、こんな母親で。
震災から21年。
その間、悲しいこともあったけど、楽しいことも幸せな時もいっぱいあったのにね。
息子の母親として過ごし、息子との思い出が詰まった大切な21年でもあるのに。
ごめんなさい。