命日と誕生日
昨日は息子の命日、そして、息子の22才の誕生日だった。
あの日から一年。
あの日のことは、まるで昨日のことのようにはっきりと覚えている。
夢であればいいのにと、何度思ったことだろう。
夢であればいいのにと、今でも思う。
まさか自分の身にこんなことが起こるなんて、信じたくなかった。
どうやって生きていけばいいのかわからなかった。
息子がいないのに、生きていたくなんかなかった。
息子は生きていくことができなかったのに、たとえ見かけだけでも普通に生活している自分が許せなかった。
今は、ちゃんと最期まで生き抜かなければならないと、なんとかそう思えるようになった。
自分を責める気持ちは変わらない。
息子が生まれてから、その前の、お腹に宿った時からあの日までのことを思い出しては、後悔することばかり。
ずっと自分を責め続けている。
そんなことをしてもどうにもならない、そんな私の姿を見たら息子が悲しむとわかってはいるけど、どうしても自分を責めてしまう。
時薬というものが本当にあるのなら、時薬が本当に効くのなら、悲しみが消えることはなくても、いつの日にか、自責の念は和らいでいることを信じたい。
息子の部屋もあの日のまま。
何度も片付けようと思ったけど、部屋に入るだけで涙があふれてくる。
踏ん張っていても、足が震えてきそうになる。
まだいい、そのままでいい。
いつかはできるだろう。
それまでは、息子の部屋の時は止まったままでいい。
本当に辛い一年だった。
胸がえぐられるほど苦しかった。
こんなにも苦しいのに、なんで私の心臓は止まらずに動いているのだろうと思った。
でも、まだ一年。
たったの一年。
あと何年も何十年も、息子のいない世界で生きていかなければならない。
去年の今頃は・・・
と思うそこには、もう息子の姿はない。
息子のいた時が、だんだんと遠い過去のことになってしまう。
22才になった息子を見たかった。
22回目の誕生日を祝ってあげたかった。
22才の息子といっしょに話をして、いっしょに笑いあって、いっしょにご飯を食べて、ずっといっしょにいたかった。
息子の声が聞きたい。
息子に触れたい。
会いたい。
会いたいよ。
すごく会いたい。
息子に会いたい。